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日常生活の中での発見や思考などを綴っています。随想の花が咲いている散歩道であり、プロムナードです。

naigaipast08_11

内外点描(2008年~2011年)


 1.感情の衝突      2008.6.19(木)記

 こんにちは

 今日は私は幾分気分が悪いのですが、あなたはいかがですか?

天気は良かったんですが…、
家族がぎくしゃくしておもしろくない雰囲気なのです。本当に困ってしまいました。
こんな感情のすれ違いは、精神衛生上とっても悪いですよねー!私は自分を本当に未熟な人間だな〜、と思いました。

  • こんな私

 実は、今朝、お茶を入れようとして、急須(チョカ)のふたを取ったら、手が滑ってふたが急須の中に落ちてしまったのです。

 私は妻に「縁の周りがあっちこっち欠けているから蓋が落ちるのじゃが。新しいのを買ってこんねー!」と言ったら、妻が「不注意だからよ、落とさないように気をつければいいんじゃないの!」と言い返してきたのです。

 そして落ちた蓋の取り上げ方を滔々としゃべり続けていました。

 私はその態度にすでにカッと頭に来ていました。
口論となり、おもしろくない雰囲気が部屋中に充満していきました。

  • 本当はこうなりたかった私

 カッと頭に来た私はもうすでにその時、心を見失っていました。
(オレはそんな非難を聞きたくて言ったんじゃない。しょっちゅう蓋が落ちて不便だからだ。オレの気持ちがわからんのかー! 俺の気持ちがわからんおまえは許せない!)…と。

 無意識のうちに私は心の中で怒りを爆発させていました。その心の中の怒りが電光石火のごとくカッと頭に血をのぼらせたのです。
「俺の気持ちを素直に受け止めてくれー、オレを認めてくれー」と、私は激しく絶叫していたのかもしれません。

 本当は、私のほうこそ妻の気持ちを受け止めてあげられる私でありたかった。
なぜ妻がそんな言い方になったのか…?、と。

私は日頃の自分自身の姿(言動)を振り返るゆとりが欲しかったし、本当はそんな私でありたかったのに…。

  • その後の私

 その時私は、日頃から私の「心の指針」にしている座右の書:

「新・祈りのみち」 を想いだし、自分の部屋に行って、一人心静かに手に取って、一文一文を吟味していました。

 次第に私の心は落ち着きを取り戻し、すっきりとなっていくのを感じることができました。
 安らぎと素直な、そして力強いエネルギーが自然に心に充満してくるのが感じられたのです。

 妻に対する怒りも、わだかまりも、何もかもすっかり吹き飛んでいました。

その後、妻と対面したとき、私は心から明るく妻に接している自分に気付きました。妻の明るい笑顔を見て私もホッとしていました。

 「新・祈りのみち」 は私が試練に出会った時、いつも私を励まし希望と元気を与えてくれる人間理解の源となっています。



 2.母の入院生活     2008.7.23(水)記

 はある病院の療養棟で入院生活をしているのですが、深刻な悩みを持っています。

 それは、あろうことか、たくさんの看護スタッフ達の中の数名の看護士や看護助手達に、これはひょっとするといじめじゃないの?と思われるようなことをされているということです。


 80歳を越えた母の病気は、一日の間に病状の日内変動があり、早朝と夜は割とからだが動くが、日中は身体が硬直し、体が痺れ、全身に力が入らず、脱力状態になり、気分が落ち込み、えもいわれぬ不快感に襲われるという難しい病気に苦しんでいます。


 朝、気分が良い時は、自分一人でベッドの柵を両手でつかんでおもむろに起きあがり、ベッドの脇にある簡易トイレにゆっくりと座り、排泄することができるようです。


しかし、自分の体を自分でコントロールする力が十分に出ない時、排泄後はベッドにもどりなんとかやっと横にはなるものの、斜めになった自分の身体を立て直し、きちんと布団を被ることができません。


 目覚めの早朝は気分がいいので、体力の維持のため、ゆっくりとベッドからおりて、そろりそろりと手摺りをつかみながら、廊下に出て5〜10分ほどは歩く練習を心がけて、一生懸命努力しているそうです。


 しかし8時を過ぎる頃から次第に体が重くなり筋肉全身がだんだん硬直し始め、痺れが出てくると共に気分が沈み、力を出して動こうとしても意志に反して体が動かなくなっていくのです。


 鉛の服を着たように体が重たくなり、不快なしびれが全身に渡り、気分が重く、脱力状態になり、何とも言いようのない不快感に襲われると母は言っています。


 身体の硬直は、正午を過ぎる頃が極限状態になり、直立不動のまま身動きもできずにただ仰向けになって天井しか見れない状態が続き、手を動かすことも、体を傾けることも何もかも全くできなくなってしまうという難病です。その状態は夕食頃まで続くそうです。


 夕食後は服薬後、次第に硬直状態が解消してきて、自分の意志で身体を動かすことができる様になるようです。だいたい19時頃からは気分が良くなり、体も軽くなって、ゆっくりとではあるが自分の力で上体を起こし、ベッド脇の簡易トイレに行ける程になります。


 夜はよく眠れるようですが、頻尿状態で、2〜3時間おきにはトイレに行くそうです。(たまに、4〜5時間ほどは排尿感なく熟睡することもあると言っていました)


 そんな母の病気の特性を一部の看護師や看護助手さん達は知っているのか知らないのかわかりませんが、病気の硬直発作が起こっている時、排泄の介助を頼むと、「リハビリは万能」だと信じている「ある」看護師さんや看護助手さん達が、母に「さっきは動いていたがねー、自分でできるでしょうがー」、「リハビリになるから自分で動かにゃいかんよー」、「自分でできるくせに甘えてるがー!ほらーガンバラんねー」と言って、なかなか介助しようとしなかったり、露骨に嫌な顔をして怒ったように乱暴に扱ったり、
「今忙しいから後で!」とぶっきらぼうに言ったり、長い時間ほったらかしにされたりしていることが時々あるそうです。


 たまに、ベッドのすぐ脇にある簡易トイレに行ける力が残っている時など、母がなんとか自分一人で頑張り、やっと簡易トイレに座れてふと見るとカーテンが全開になっているのが気になり「カーテンを閉めてくれませんか」と頼んだのにもかかわらず知らないフリしてカーテンを閉めてくれなかったこともあったそうです。


 またある時、タオルを取ってくださいと頼んだら、目の前までタオルを持ってきてそこで止めたままタオルをぶらぶらさせて、「ほら、早く取らんねー」とふざけてなかなか手渡してくれなかったこと。

 ある時は、身体を拭いてもらっているとき要望を言ったらわざと強くごしごしと激しく擦られ、擦られた所がいつまでもひりひりと痛かったと。

 またあるとき、ある看護助手が母の背中をたたいたこともあったそうです。
母の身体は骨粗鬆症です。


余りにも非道すぎるのでその時は「たたいた人の名前とその時の状態」を看護師長に伝えたそうです。
それ以来その看護助手はたたくことはなくなったようですが…。


 母は鬱状態が強くなってきているように感じられます。最近は高血圧の続くことも目だって多くなってきています。


 母は神経質で潔癖過敏な所があるので、特定の数人のある看護スタッフとのすれ違いを繰り返しているように思われます。


他の多くの看護スタッフの方々はとても温かく親切な方々が多いのに、そのわずか数人の方々との感情のすれ違いの為に、入院生活がとても不快で不安なものとなり、大きな試練となっているようです。


心にたまるストレスが血圧の上昇にも悪影響しているのではないかとも思われます。


看護師長や主治医に伝えてもその場限りの対応しかしてくれないし、これら一部の看護スタッフのあるまじき行為には恐らく気付いていないのでしょう。


または薄々気付いていても明確にしたくないという思いがあるのかもしれません。


 現実には、なにも有効な指導や対策が取られないままです。
母に「院長や理事長にいじめの実体を伝えようか!」と言うと、母は隠れたところで更なるいじめを繰り返されることを恐れているのか、「何も言わないでくれ…」と強く止めてきます。


 テレビ放送で、老人ホームや施設で「いじめや虐待」の実態が報道されていたことがありましたが、まさかこんなに身近なところでその「いじめ」らしき実態があるとは夢にも思いませんでした。


 多くの看護師や看護助手さん達は親切でお世話が行き届き、良い人達であると私は思っているのですが…、なのにその中に隠れて、数人の屈折した心の持主たちが素知らぬ顔で「いじめ」らしきことをしている実体があることを聞いて愕然としています。


 私はそのような卑屈な実体が現に身近な所にあることを知って、驚きと同時に悲しい気持になりました。数名の屈折した「看護師や看護助手」達の名前は母から聞いておおよそ分かってはいるのですが…。


 いじめの実態を将来病院長や理事長に報告しなければならない決定的な日が来なければいいのですが…。


 本当に多くの高齢者の患者さん達が入院しています。
立場の弱い患者さん達に対して態度の大きな看護士や看護助手さん達の姿を見るのはとても不快です。


病院の管理責任者達は、職員・スタッフ達の職務の行動実態を正しく把握しているのでしょうか?

 「全ての病院が患者さん達の身も心も本当に真に癒されるまことの病院としての使命を正しく果たして行ってほしい」と強く願ってやみません。



 3.草取り        2008.8.05(火)記

 私の実家の敷地は約250坪ほどあります。
母家と2つの小屋を除くとだいたい庭の面積は約170坪ほどはあるかと思います。庭には花園があり更には樹木や果樹なども植えられています。


 それらは花好きの母が植えたものです。
現在母は長期入院中ですので、実家の管理は全て私が代行しています。父は4年ほど前に他界しました。

 
 さて庭の草取りですが、除草したからと思ってホッと安心していると、いつの間にかすぐにたくさんの草が勢いよく生い茂ってきます。


 私はいつも根っ子から除草しているのですが、それでもだいたい2〜3週間程もすると再び草が大きく目立ってきますね〜。


 生い茂った庭の草取りを一通り全部(170坪)済ませるのにかかる時間は、一日の除草時間を約4時間前後として計算すると、およそ4日〜5日ほどを要しています。その中には樹木の剪定時間も入っていますけどねー。


 黙々と除草していると、無我の境地になれますね。ただひたすらきれいになっていく庭を見ながらの根っ子からの除草は、まるで、私の心の雑草を根っ子から取り除いてくれているかのような爽やかさを感じさせてくれます。


 私は草取りが大好きです。
ちっとも苦になりません^^。



 4.部屋の整理整頓     2008.08.26(火)記

 私は部屋を片付けたり配置を換えたり整理整頓したりすることが大好きです。私の趣味の一つに数えても良い位ですね。


 混乱している部屋を完璧に整理整頓し終わったあとの爽快さは何とも言えませんね。その感覚を味わうことができることが嬉しいのです。


 しかしせっかく整理整頓できたのにですよー、数日間経つ内に又机の上が紙や本でだんだん混乱してくるんですね。そのうち気がつくと本棚も乱れており、緊急に必要なものを探したいときなどはもう対応できません。


 私は考えたのです。1〜2枚の書類(papers)は、手頃な大きさのビニールファイルに納めて本棚に立てる。


 契約書類関係、自家用車関係、住宅ローン関係、生命保険関係、固定資産関係、健康診断関係、納税関係などなどは、細かに類別して種類ごとにまとめたファイルに整理する。


 必要に応じて取り出した書類はその都度用が済んだら必ず元に戻す

 次に書籍類(books)に関しては、同種のものを一塊りにして、同じ棚に並べる。図書館で類別して陳列してあるのと同様に、目当てのものがすぐ見つかるように類別し、仕切を付ける。


 本棚には本だけを置く。飾り物とか小間物など余計なものは置かず、すっきりと整然と見通し良くする。


 以上を確実に実行すれば机上は混乱せず、必要なときに必要なものをすぐ取り出すことが出来るだろうと考えました。


 もし仮にまたそれが3日坊主で終わったとしても、どこが足りなかったかをもう一度考え直して、より適切な方法を発見し、改善して行きたいと思います。


 この決意が「いつまでも持続する」ことを念じながら、人事を尽くして今を悔いなく生きて行きたいと思う今日この頃です。


 5.年賀状の季節      2009.01.02(金)記

 毎年12月になると、気にかかることが一つあります。それは年賀状を書くことです。


 年賀状作成にとりかかってしまえば後は最後まで意欲的に取り組めるのですが、しかし問題はその作成に取りかかるまでの最初の一歩がとても難しいのですね。


 全身の力を振り絞って「絶対に書くぞー!」と気合いを込めて強い意志を立ち上がらせない限り年賀状作成に取りかかることはできません。


 大きな壁が面前に立ちふさがった圧迫感を感じて、乗り越える力を喪失してしまいます。


 これは毎年のことです。後で書こうまだ大丈夫だからと先延ばししたままとうとう年の瀬になって、イヤ最悪の場合は年が明けて
から、やっと書き始めるということをしょっちゅう繰り返しているのですから。


 元旦に届くような年賀状の書き方がなかなかできないのです。そして後になってそのことをいつも悔やみます。「来年こそは
絶対に早く書くぞー、元旦に年賀状が届くように必ず書くぞー」と強く決意します。


 しかしまた、12月に入ると、まことに残念ながら上記の事を繰り返しているのです。この壁は私にとってはとてつもなく大きな
壁なのです。


 「なぜ?早めにワクワクしながら楽しく取りかかることができないのだろうか?」と考えてみました…。


 私は年賀状を義務感で書いているのかもしれません。「書かなければならない」という義務感です。


 心の底から、慈しみの気持を持って年賀の挨拶をしたい、ご無沙汰している人と親交を深めたい、日頃お世話になっている
人に感謝の気持ちを込めた挨拶をしたい、親しい人に近況を知らせたい、絆を大切にしたいという、そんな温かな懐かしい気持
は出てこないのか…。


 懐かしい気持、慈しみの気持はないのか?と問えば、無いわけでも無いのですねーこれが。でも一方では面倒だな〜という気持が頭をムクッともたげてくるのに逆らえないまま、そして一方では「書くべきだ」という義務感が頭をもたげてきて…いつも葛藤しているのです。


「面倒だな〜。イヤ書かねばならない。」これらの反復葛藤で心を痛めている内にいつの間にか何もしないまま元旦の朝を迎えているという惨めな事態になっているのです。


 元旦の朝、年賀状をくれた人の名前をみて、「ああー、しまったー、この人のように自分も元旦に届くように出せばよかったー!申し訳ない!!」と慌てて強い後悔の念を抱きながら、受け取った年賀状の一つ一つに精魂込めて返事の年賀状を作成し始めるのです。


 この時始めて年賀状作成の意欲が湧いてきます。そして念入りに書き上げた遅れ馳せの年賀状をすまない気持ちとホッとした気持の入り交じった気持で投函しているのです。


 来年こそはこの様な事態を繰り返したくはありません。口惜しいことにこの「惰性の流れ」のエネルギーってとても強いですよね。「書くのが面倒だなー億劫だなー」というマイナスのエネルギーに逆らって前進するためには、この「めんどうだなー」という
惰性力を越える大きなエネルギーを内から出さなければなりません。


 その為にも「義務感」ではなく、「人を愛する気持、人を大切に思う気持」を、もっともっと私の内に大きく育てたいと思うのです。


 6.特別養護老人ホーム  2009.06.03(水)記

母は現在83歳です。パーキンソン病で入院していましたが、長期に渡る入院のためでしょうか、病院長から退院を勧められました。


退院を勧められても私一人での自宅での療養介護は難しいので、どうしたらいいのか全く分からずに途方にくれました。


インターネットなどでいろいろ調べる内に、保健所や市役所の福祉課やケアマネージャーに相談すれば良いことがわかってきました。そして、介助の必要な老人達を全面的に面倒見てくれるところが特別養護老人ホームであることも分かりました。


一般的に「養護老人ホーム」といってもいろいろな種類があり、それぞれはサービスの内容やシステムや働きが違うことを知りました。母のような手厚い介護が必要な老人は「特別養護老人ホーム」が適していると思いました。


福祉課から頂いた「特別養護老人ホーム」の所在地と電話番号の書いたリストを利用して、2ヶ月間かけて母にもっとも適したふさわしい施設はどこなのか、必死に探しました。


わかったことは、どの施設も超満員で50人~100人程の要介護老人達の入所待ちでひしめき合っているということです。


過剰とも言える施設不足です。瀕死の老人達が病院や家庭で苦しんでいます。


入所できるまでには少なくとも1年~2年位はかかるでしょうと言われました。今すぐ入所したいのに、とてもこの現状では入所できません。


やっと2年後に施設から「入所できますよ!」という幸せな連絡が来るころには、力のない声で、「さっき苦しみながら亡くなりました・・・」と答えなくてはならないのでしょうか。


思い悩んだあげく仕方なく、とりあえずはショートステイのできる施設を探しましたが、しかしこれもまた、なかなか難航しました。


ケアマネージャの力を借りたお陰で探し始めてから2ヵ月後の、つまり現在から10日程前にやっと入所することができました。でも、一ヵ月後にはまた退所しなければなりません。


その都度、手続きをしたり施設を探さなければならないのかと思うと、とても気が重くなり憂鬱になってきます。一番つらいのは老人たち本人でしょう。


そして費用の面では、基本料金は個室で月額9.5万円程、多床室の相部屋で5.5~6.5万円程でした。年金収入だけの母や私にとっては、決して安い料金ではありません。


これらの体験を通して最も痛切に感じたことは、「現実はこんなにも福祉政策は貧弱だったのか・・」ということでした。


介護の必要な老人達がなんと多いことでしょうか!
なんと特別養護老人ホームの施設の少な過ぎることでしょうか!


現実はとても深刻な事態です。特別養護老人ホームの施設数の少な過ぎとそこで働く職員の数も少な過ぎ、一人の職員につき10人の老人達を担当しなければならないこの現実を知ると、唖然とします。多くの老人達は行き届かぬ不十分な介護に我慢しなければならないのでしょうか?

このような過酷な状況は、早急に解決しなければならない重大な社会問題の一つでしょう。


本当に充実した福祉社会はいつ実現されるのでしょうか
なんと多くの介護の必要な老人達が苦しみ、なんと多くの家族が路頭に迷っていることでしょうか


この悲惨な現実はなんとしても早急に解決されなければならない最重要課題の一つではないでしょうか。


 7.朝ドラ「ウエルかめ」  2010.02.26(金)記 

 NHKの朝ドラ「ウエルかめ」を視聴していると、そのドラマから、人々の絆の繋がり(信頼関係)と、倉科カナの演じるヒロインである波美(なみ)の周辺の一人一人が、波美を始めとして、皆、それぞれがそれぞれの使命にひたすら生きようとする一途な生き方に胸の熱くなるのを感じるのです。


 主人公の波美の人間性は、素直で明るい透明な心の持ち主です。
波美の関わる全ての人々がお互いを思いやり、信頼関係の強い絆を結んでいきます。


家族、隣人、職場、地域の人々、友達と、その関わり方はとても自然で魅力的です。そして私達を爽やかな明るい気持ちにさせてくれるのです。そこには深く感動的な癒しがあります。


 また、波美の家族の全員は、とても愛すべき人格の持ち主達で、自分の個性を強く打ち出しながらも、家族の一人一人の愛情に満ちたかかわり方がほのぼのとしていて、とても懐かしく安心できる安らかな気持ちにさせてくれます。


 お金や名誉や自分の幸せだけを追求して生きる生き方もあるかと思いますが、このドラマではそれとは違う生き方の一つ一つに出会うことができて、胸の奥が熱くなり、涙がこみ上げてくることが
しばしばあります。


NHKの朝ドラは、半年ごとに変わる約150回ほどの連続短編ドラマ(15分間)ですが、今まで、どれもこれも私にとってはかけがえのない一筋の光を投げかけてくれる素晴らしいドラマです。
毎日、NHK総合の朝ドラを楽しみにしています。



 8.規則正しい生活    2010.04.28(水)記

私は計画を立てることは嫌いではありません。むしろ好きかも知れません。


しかしどんなに素晴らしい計画でも残念ながら、平均的に3日も経つと、次の日の4日目頃には、「今日はちよっとだけ気になっているあっちを先にやろう」と思い、つい、いつもの計画は気楽に後回しにしてしまうところがあります。


すると計画の中のしなければならない大切なことは後回しにされたまま、結局はしないまま、一日を無為に過ごしてしまうはめになっています。


そして、数日たったある日、計画を思い出し、気力を振り絞って、やっと計画の実行を再開します。


そんなことを繰り返しているうちに、いつの間にかすっかり計画のことは忘却の彼方に姿を消して、元の木阿弥の生活をしている私があるのです。


私はこれまでの人生で、この「先延ばしや、怠惰」なパターンをいつも繰り返してきました。


恥ずかしいことながら、せっかく立てた素晴らしい計画も、最後まで貫徹させたことはないのです。何かを満足のいくまで徹底させたことがありません。いつも中途半端の繰り返しです。


でも、決してこれでいいはずはありません。
このままでいたら、死ぬまで「先延ばし・怠惰」を越えることはできず、中途半端な気持ちを抱えたままむなしい人生を終えることになるでしょう。


私は、なぜ、このパターンから抜け出せないのか、振り返ってみました。


わたしは辛いことが苦手です。我慢することもちょっとの時間だったらいいけど、継続的な我慢は耐えられません。
楽しくないことはしたくないし、避けようとする無意識がはたらいていると思います。


結局、やりたいようにやりたいという気持ちをいつも優先させています。


しかし、楽しくやれるような工夫があればいいのかもしれません。


私は計画を悲愴な気持ちで受け止めるところがあります。夢は膨らむばかりです。


私に足りないところは、現実と照らし合わせながら、現実よりもちょっと上位のレベルに目標を立てて、継続できるような、ちょっとの努力で実行できるような工夫を全くしてこなかったという所にありました。


今までやってきたことは、大きな目標をボンと立てて、日課の内容と時間配分をして、あとはそれを最後までこなしていくだけというものでした。たてた日課を継続的に実践していけば全てOKというものでした。


しかしその中には、細かな自己分析はなし、楽しく実行する工夫はなし、計画を守れなったら自己批判と自己叱咤激励するだけというものでした。


目の前に、興味のあるものや関心のあるものが現れれば、ついそれを先にやりたくなり、計画の方は後でやればいいという気持ちになり、後回しにしてきました。そして、いつの間にか、大切な計画の実行の方は雲散霧消してしまっているのです。


今朝、自然と5時に目覚めたので、そのまま起床しました。
最近、気温も暖かくなってきたので、今日は久しぶりに、心機一転して、家の周りを走ってみようかなーという気分になり、以前やっていたように、スロージョギングをしました。


私は、最近特に目だっておなかが出てきたので、コレステロールの解消と、高脂血症の改善や健康増進のために、今まで全然してこなかった運動をすることにしました。


昨年は時々、スロージョギングを途切れ途切れやっていたのですが、いつの間にか全くやらなくなったので、今回それを復活させようと思いました。


距離は1kmちょっと、コースは家の近くの畑道や道路、時間は準備運動、スロージョギング、整理運動を合わせて合計20分にしました。


原則は3日ごとに実行し、走りたい気分の時はそれに加えて走る。
起床は5時、就寝は午前零時にしました。就寝時間は5時間ですが、私はたっぷりと熟睡できるタイプなので、5時間で十分かと思っています。


早速、今日の第一日目は、実行しました。今すがすがしい気分です。
次は3日後ですが、明日の朝5時に目覚めて、もし走りたい気分の時は走りたいと思います。


この計画が最低3ヶ月間実行できたら、私は自分をほめてあげたいと思っています。


 9.拾得物の報労金   2010.06.03(木)記

 2010年5月6日、朝9時30頃、私はM郵便局で、通帳と印鑑とキャッシュカードを入れたセカンドバッグを郵便局のATMに置き忘れ、80分後に到着したK銀行でそれに気づきました。


すぐM郵便局に電話をいれて確認してもらったら、「該当の物件は見当たりません。届け出もありませんよ」という返事でした。


 即刻、K銀行で2個の通帳、T郵便局で1個の通帳、JA支所で1個の通帳の合計4個の通帳口座の払い戻しを全て凍結する手続きを行いました。4個の全ての通帳の凍結を完了させたのが、置き忘れた時間から約2時間後位の午前11:40~12:00頃であったと思います。


 凍結完了後、すぐに警察署に直行し、M派出所で盗難届けを出しました。盗難届けの完了は、13:00前後であったと思います。そしてそのまま自宅に帰りました。


 夕方、18時頃、盗難届けを出した派出所から私の携帯に連絡がはいり、盗難届けの物品が出てきた旨の連絡が入ったので、早速、派出所まで受け取りに行きました。


 話によると70歳過ぎのIさんがATMでセカンドバッグを拾い、それを持ち歩いた後、約7時間後に、再び拾った場所の郵便局に届け出たそうです。


 郵便局員から警察署に届け出の連絡が入り、派出所の署員が受け取りに行き、保管した後、私に連絡が入ったという次第でした。
 私はその日の夜8時過ぎ、Iさん宅に電話して感謝の気持ちを述べ、お礼を言いました。


 翌日の昼過ぎ、私は16:00からE会社のパート研修の予定がはいっていたので、研修に行く途中、ネクタイ姿のまま、和菓子店でお菓子の詰め合わせ(1,500円)の菓子折りを買い、買った菓子折りを持ってIさんの家にお礼に行きました。


 ところが持っていた地図ではIさんの家の所在が特定できなかったので、Iさん宅の近くで、Iさんの家に電話しました。


 やがて背丈153cm程の痩せた顔色のあまり優れない感じのIさんがやって来られたので、さっそくIさんに菓子折りを手渡して、何回もお礼を言って、その場を後にしました。




【 事後談 】

そしてあれから26日経過後の、6月1日(火)、Iさんから突然の電話が私の携帯に入りました。


 6月1日の午後1時頃、突然私の携帯に電話してきたIさんは、「警察署から手紙が届き、拾得物の報労金として届け者には5%~40%の報労金が請求できると書いてあったので、お金を貰いたい」と言ってきました。


私はIさんに「翌日、菓子折りを持って、お礼をしましたけど・・」と言ったら、「それではいけない、あなたはお金持ちでしょう。立派な車と身なりだったから、きっとどこかの社長さんじゃないですか」と強気な態度で言ってきました。


「いや、私は社長さんどころか年金暮らしですよ」と言ったら、「そんなはずはない、お金持ちのはずですよ」と言い張り、なんとしてもお金をもらいたいという感情が強く出ていたので、これじゃ埒が明かないなと思い、「それじゃー、その件に関して警察署に行って相談してきますから」と告げて電話を切りました。


 そして、警察署の担当部署である「会計課」の窓口に行き、窓口でいきさつを話して、相談にのってもらいました。


 相談結果は「翌日菓子折りを持って行き、御礼をされたのなら、それでもう十分なお礼が完了しています。お金を払うことはありません。通帳は資産価値がありません。拾得物の価値はセカンドバッグとキャッシュカードぐらいですね。そして報労金の目安は5%~20%です。40%ではありません」と言われました。


そして、その相談員の方が、Iさんに「報労金は十分完了していますよ」ということを電話で伝えてくださったのです。とてもありがたかったです。


帰り際に、相談に乗って下さった会計課担当職員のその方が私に「もしまたIさんが報労金の請求をしつこく要求してくるようだったら、今度は生活安全課のほうに相談されるといいですよ」とアドバイスをしてくださいました。


 やっとこれで一件落着。ホッとしました。思わぬ事件発生で大変な一日でした。


【今回の出来事の参考として】

拾得物を金額に換算した場合:

●セカンドバッグ1個・・・古びて廃棄寸前の状態だから、100円以下の価値。
●キャッシュカード1枚・・・発行手数料1000円。(通帳無効だから以後不要。価値0円)
●印鑑1個・・・値段は不明。多分一万円以下であろう。(拾った人には価値なし)
●通帳4冊・・・資産価値0円。

以上より、見積もり金額は最大でも:11,100円。


 報労金の相場は大体10%程が目処のようだから、10%で計算すると、最大1,110円以下の金額が妥当な報労金に相当する。


お礼として既に1,500円の菓子折りを渡したから、すべてをお金に換算するとなると、
報労金を390円以上余計に支払ったことになってしまうではないか(^^)~。


Iさん、欲を出してはいけませんねえー!せっかくの感謝の気持ちが台無しになるじゃーありませんかー。


 ● 参考(キムラの法律相談)



10.虐待を受けた猫。  2010.07.06(火)記

 癒し
 台所の窓からふと外を見たら、時々見かけるキズ猫ちゃんが、1mくらい離れたブロック塀の
上で、両足をきちんと曲げて目を細めて休んでいるのを発見した。


私が窓に顔を近づけてよく見ようとすると、キズ猫ちゃんも私のほうを見た。
キズ猫ちゃんは安らかな顔で目を細めて私を見ていた。


その姿がとてもかわいらしく感じられたので、私はキズ猫ちゃんに語りかけた。
キズ猫ちゃんはそれに答えるかのように、ニャンと小さな声で目を細めて答えてくれた。


このキズ猫ちゃんは、もう一匹の白猫ちゃんと兄弟であるが、白猫ちゃんはそこにはいなかった。

しばらくして、再びキズ猫ちゃんを覗いたら、キズ猫ちゃんは私とは反対の方向を見ていた。
そのキズ猫ちゃんの視線をたどって行ったら、そこには隣家の庭の植木の根元付近を通
り過ぎつつある白猫ちゃんの尻尾が右へ左へと揺れているのが見えた。「オッ!白猫ちゃんだ、なんだそこにいたのかー!」と思わずつぶやいた。


キズ猫ちゃんの方は相変わらずのどかな顔でブロック塀の上で気持ちよさそうに休んでいた。
私がこのキズ猫ちゃんに話しかけ続けていたら、同じブロック塀のキズ猫ちゃんの後方で
何かが動いたような気配がしたので、もっとよく見てみようとして首を窓の前に出した。


キズ猫ちゃんの後方を覗き込んでみると、なんともう一匹、黄褐色の毛をしたヤス猫ちゃん
がいるではないか!キズ猫ちゃんと同じ格好で前後の4本の足をきちんと折りたたんで目を
細めて休んでいた。猫ちゃん達のこの安らかで平和な雰囲気が、私をうれしい気持ちにさせ
てくれるのだ。


3匹の猫たちは同じ年頃の猫達であるが、このヤス猫ちゃんは他の2匹とは兄弟ではない。
3匹とも人間で言えば中学一年生ぐらいの年齢の猫達である。まさに猫は癒しの動物だ。

 新参者
 3匹とも野良猫であるが、ヤス猫の方は、キズ猫と白猫の2匹の兄弟猫達よりもずっと後に
なってここら周辺にどこからともなくやってきた野良猫ちゃんである。3ヶ月ほど前からよく見かけ
るようになっていた猫だ。いつの間にかこれら3匹の猫達は気が合うのか、喧嘩もせずに仲良く一緒にいることが多いが、なんとなくヤス猫ちゃんの方が少々遠慮がちなところがある。


一方、キズ猫と白猫は、以前から近所の猫好きのおばあちゃんが餌を与えて、かわいがって
くれているので、おばあちゃんの庭に良く寝そべっていて平和な姿を見せていた。
そのお宅には小さな子供さんもいる。おばあちゃんは餌ばかりか段ボール箱で猫の家まで作
ってくれているが、しかし今も猫達がそのダンボール箱の中に入って居る姿は見たことはない。


私も、猫ちゃん達が私の家に餌を要求しに来た時は、雑魚や牛乳やパンくずなどの食べ物を
与えている。私は時々しか家にいないので、毎日はやれない。時々しか餌を与えられないの
で申し訳ない気持ちだが、近所の人はそうではなかった。私は近所のお婆ちゃんに”ありが
とう”と心でつぶやいている。

 皮膚病
 ある日、白猫ちゃんの首の毛が皮膚病ではがれているのを見た。剥がれた皮膚の傷がとても
痛々しく見えた。でも私はそれを見て心を痛めながらもどうすることもできなかったことを覚えて
いる。野良猫であるがために簡単には捕まえられないし、病院で治療してあげたくても、諸事情でどうすることもできなかった。


ところが、数日経ったある日、久しぶりに私の家にやってきた白猫ちゃんの首を見たら、
なんと患部の首の周りにロート状の紙筒がついているではないか。


紙の筒ばかりではなく、かわいい首輪も付いていた。きっと近所の人がこの哀れな白猫ちゃん
を見るに見かねて、私財をはたいて犬猫病院に連れて行き、そこで治療してくださったのだろ
う。その猫の首の周りについているロート状の筒は、後ろ足で首を掻くのを防ぐための治療用
のものだった。


私は感動した。治療費を払ってでもこの野良猫の痛々しそうな皮膚病を治してあげたいという
その温かな気持ちは私の心にも温かなものを流し込んでくれた。私はとても安らかな気持ちに
なれた。この並々ならぬ動物に対する優しさと哀れみの心を持った近所の人達に心から感謝し
たい。


今は白猫ちゃんの皮膚病も治り、キズ猫ちゃんも白猫ちゃんもかわいい首輪までしてもらって、
かわいがってもらっている様子なので、ひとまず安心だと私は思っている。

 虐待
 ところが、3匹目のヤス猫ちゃんは、そうではないのだ。
私は久しぶりに3匹が集まっているので、喜んでもらおうと思って、パンくずの餌を持って、
猫達の居る方へ向かって勝手口を開けて庭に出ると、3匹が一斉に喜んで集まってきた。


そのとき、ふとヤス猫の姿が何か変だなー?と思った。よく見ると、ナント!ヤス猫の後ろ
足の付け根の胴体部分がビニール針金できつく巻きつけられているではないか!
針金に食い込まれている胴体の肉は痛々しく裂けて、とても悲惨な状況であった。
私は絶句した!!
誰かがこのヤス猫に虐待をしたのだ。
猫虐待をする非情な人がこの近くにも居るのかと思うと、とても情けなく、腹立たしく、
そして悲しくなった。悲痛な気持ちにとても耐えられない。


針金で強く巻きつけられたお腹の部分はくびれており、血で赤くなっていた。傷口は、針金
の巻き込んでいる部分がすでに固まっているかのように見えた。ヤス猫は痛がる様子もなく、
普通に行動していたが、このままじゃとてもこの先安らかに生きていくことはできないだろ
うと思った。


何とかしてこの魔の針金をはずしてあげたいと思い、針金に手を伸ばそうとするが、ヤス猫
ちゃんは警戒して私に近寄ろうとしない。でも餌は欲しくて近寄ってくるが、そのつど針金
に手を伸ばそうとする私から離れて逃げてしまう。どうすることもできない。


無理して猫を拘束したらヤス猫ちゃんは恐怖でジタバタ暴れることだろう。そうすると胴体
はますます針金に食い込まれていき、もっとひどい状況にならんとも限らない。結局、私は
また猫を助けてあげられない。自分の無力さにほとほと虚しくなってくる。


何とかして助けてあげられないものか。しかしどうすればいいのだろうか?
それがわからないし智慧が出てこない。猫が確実に助かる方法はないものだろうか?


針金で胴体の裂けている痛々しいヤスの姿を見ると心が痛くて耐えられない。
ズキズキと痛みが走る。

11. 特別養護老人ホーム不足 2011.8.19(金)記

母の入院期間の限界(6ヶ月)もあと2週間足らずとなった。

寝たっきり状態になった母が退院した後はどこで生活していけばいいのだろうか?

家族の誰かが自宅で終日介護をできればいいだろう。
しかし、できない家族はどうしたらいいのだろうか。

施設には多種多様あるが、特別養護老人ホームでないと対応できない老人の行き先を探していると、

どこに行っても、「あと50人待ちです(A施設)。うちはあと80人待ちです(B施設)。いやいやうちは入所希望者100人を超える状態です(C施設)」と言われる。

退院した直後に移動しなければならないのに、1日も待てない状態なのに、50人から100人を待った後に入所となると、少なくとも2年以上10年間は待ち続けなければならないという。

施設が足りないのなら「国の福祉政策で需要に対応できないものか」と調べてみると、法律の縛りがあって簡単にはどこにでも自由に特別養護老人ホームは創れないのだという。

これでは「特別な介護の必要な老人」は早く死んでくださいと言っているようなものだ。

今は若くてもいずれは誰しもみんな「老人」となって身体が動かなくなり不自由な時を迎えなければならなくなるだろう。

家族の大きな苦しみもまた同時にそこには潜在している。



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